漫然と表の世界に生きていると、ふと裏の世界の実情に触れたくなるときがある。
そんなときに一番読みたくなるのがルポルタージュ。そこで色々探っていると、どうやら最近國友さんという方がルポライターとして活躍されているらしい。
ということで、今回は彼が出している3冊を手にとってみたのでその感想を連連と書いてみたい。
ルポ西成 七十八日間ドヤ街生活
最初に手に取ったのはこの本。筆者のデビュー作にしてその後のライター生活の方向性を決めた作品。
関西の一大ドヤ街としてその名を全国に知られる西成。筆者はそんな街の放つ怪しい魅力に吸い寄せられ、(就職が叶わなかったこともあり)大学卒業後直ぐに足を踏み入れる。
そんな西成の住人は、経歴詐称の商社マン、生活保護の不正受給者、覚醒剤中毒者、元ヤクザ、と期待通りに個性的な人ばかり。
その中で筆者は飯場や宿泊所で働き、上述の人たちと触れ合いつつ、ときに怖れ、ときに怒り、ときにある種の安らぎを覚えながら日々を送る。
西成の内情やそこで筆者が出会った人たちの姿については、実際に本書を手にとってみて欲しいが、読後感として、
この街は自分を捨ててしまった男たちが、その身に降りかかるどうしようもない運命を受け入れて生きているところなのだ
という筆者のあとがきがストンと腹落ちした。
また、それが故に、自分がここに来るような人間ではない、という感想を筆者が抱くことも。
ただ、街を知る、つまりそこに住む人を知る、ということは得てしてこういうことなのかもしれないと、
この作品を通して感じることができたのは事実だ。
ルポ路上生活
次は、東京に戻った筆者が路上生活を体験したときのルポ。
この作品で筆者は、西は新宿から東は上野まで、都内23区の中でもホームレスが多いと言われる地域で彼らと寝食を共にする。
本作の中でまずもって私が驚いたのは、ホームレスの実情というのは一般的なイメージとは大きく異なるという点だ。
筆者が「黒綿棒」なる青年と起居を伴にした新宿では、寝床についても食料に関しても、確保できないということは殆どなく、更に毎日とはいかないまでも区役所ではシャワーまで浴びれるという「高待遇」。
確かに家もお金もないという点において彼らが生活困窮者であることは変わりがないが、少なくとも私の頭の中にあったホームレスのイメージとは大きく乖離していた。
一方、筆者が続いて移り「住んだ」上野近辺は新宿よりも住環境が整っておらず、食料調達の機会も(西に比べれば)乏しい。
しかしとはいっても都内であり、移動自体は容易であること、また、食料も大の男1人が生きていくには十分な量の炊き出しがあることなどを踏まえれば、そこまで差があるというわけでもない。
そう考えると、彼らは恵まれているということなのだろうか。
いや、そういうわけではない。
ただ、これも筆者が言う通り、我々は普段、ホームレスというのはとても「つらい」人たちだ、という先入観だけで判断している。
だが、その内情を知れば、彼らが何がつらくて、何が悲しくて、何が嬉しくて、何が腹立たしいのかが分かる。
そして、そのときに初めて、ホームレスが〜ではなく、ホームレスの〜さんが、と固有名詞で彼らの存在を語ることができ、より理解できるようになるのではないか。
そんな当たり前のことを改めて気づかせてくれる本だ。
ルポ歌舞伎町
3作目は日本随一の繁華街・歌舞伎町をテーマにしたルポ。
いわずもがなのアウトローの聖地のこの街だが、改正暴対法や迷惑防止条例の施行により大きく様変わりしたともよく言われる。
そんな街にはもう魅力がないのか。
いや、そんなことはないだろうという心持ちで、この街の今の「良さ」を探るべく殺し屋1で有名なヤクザマンションで筆者は暮らし始める。
随所にあるかつての歌舞伎町の残り香を嗅ぎつつ、パパ活女子、ホスト、スカウトマン、ストーカー退治屋?といった個性的な人たちとの交流の中で、今の歌舞伎町が抱える闇にスポットを当てていく。
しかし、随所で感じられるのは、どうしても拭い去れない筆者のかつての歌舞伎町に対する憧れだ。
そんな悶々とした気持ちを抱きつつ、この街を長年観察してきた篝一光氏の話を聞きにいく筆者。
その筆者の気持を察してか、篝氏が彼にかけたセリフが非常に興味深い。
俺より四十歳以上も若い國友さんは、それだけ咲の歌舞伎町を見ることができるんだ。(中略)昔のことを知るのは大切なことだが、それは現在と比較しないと意味がないんだ。昔のことを知るのはそのためなんだ。
この言葉を聞いて筆者は歌舞伎町の現代中国人社会というテーマを自らの中心に据える決心をするわけだが、我々としても、過去をどのように捉えるか、という課題に向き合うときにヒントになる良い言葉だと思う。
こちらも気になったら是非手にとってみてほしい。
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